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小シンポジウム

5月21日 14:00~17:00

会場:国立 西キャンパス本館(シンポ7はインテリジェントホール)

シンポジウム1:思考力育成型歴史教育への転換と大学入試改革をどう進めるか
シンポジウム2: 古代地中海世界における知の伝達の諸形態 ―口承・文字・図像―
シンポジウム3:黒人女性の視点から再評価する公民権運動 ―人種、ジェンダー、階層、宗教による差別解消と正義を求める運動との有機的関連―
シンポジウム4:地域と歴史学―その担い手と実践―
シンポジウム5:忠誠のゆくえ ―近代移行期における軍事的エトスの比較史―
シンポジウム6:障害の歴史―20世紀前半における英・米・独・日の事例から―
シンポジウム7:エゴ・ドキュメントの比較史―ヨーロッパの事例から―

 

シンポジウム1

思考力育成型歴史教育への転換と大学入試改革をどう進めるか

 

小川幸司  高校歴史教育における用語精選と思考力育成型授業への転換をデザインする
姫岡とし子 歴史教育とジェンダー
近藤孝弘  思考力を重視する歴史の大学入学資格試験のあり方について-アビトゥア試験を中心に―
コメント 桃木至朗
(企画:油井大三郎)

(本館3階 31番教室)

 現在、高等学校の歴史教育と大学入試は大きな転換点を迎えている。2020年からセンター試験の後継形態として「大学入学希望者学力評価テスト」が導入され、記述式の出題が予定されている。また、高等学校の歴史教育においては、昨年末に公表された次期学習指導要領の作成に向けた中央教育審議会の答申において、世界史必履修に代えて、世界史と日本史を統合した「歴史総合(2単位)」の新設と、選択科目としての「世界史探究」と「日本史探究」(各3単位)の設置が提案され、2022年度からの実施が予定されている。同時に、小中高のすべての科目で「主体的で、対話的な深い学び(アクティブ・ラーニング)」の導入が予定されており、これまで「暗記科目」視されることの多かった歴史教育は大きな転換を迫られている。
 他方、高校の現場からは、大学入試で細かい用語の暗記力を問うような出題が続く限り、高校の歴史教育は暗記中心の教育に止まらざるをえないとの悲鳴も聞かれる。それ故、高校の歴史教育を「思考力育成型」に転換するには、大学入試の改革が不可欠である。また、高校の歴史教科書では、改訂の度に収録用語が増加しており、授業が古代から教え始めても現代までたどり着かずに終わるのが常態化し、生徒たちは膨大な用語の暗記に追われ、歴史を学ぶ楽しさを実感できずにいる。つまり、高校の歴史教科書改革も不可欠であり、用語の精選を行うとともに、ジェンダーや環境史など新しい研究成果を盛り込んだ内容に変えてゆく必要がある。そこで、本小シンポジウムでは、①高校現場での歴史教育の現状と改革のあり方、②高校歴史教育にジェンダー史の成果をどう組み入れるか、③欧米の大学入試から何を学ぶか、の3点について報告をお願いし、コメントは大阪大学で長年、高大連携の歴史教育のあり方を提言してきた桃木至朗氏にお願いした。

 

シンポジウム2

古代地中海世界における知の伝達の諸形態
―口承・文字・図像―

 

佐藤 昇 口頭による知の伝達―聴衆への配慮と修辞戦略―
師尾晶子 碑文からみた知の伝達―碑文文化の醸成と拡散、変容―
芳賀京子 イメージという知の伝達―ローマ皇帝の肖像の複製と拡散―
コメント 金山弥平 山花京子 田中創
(企画:周藤芳幸)

(本館2階 26番教室)

 古代地中海世界では、社会の主要な構成員の平等原理を基盤とする「共同行為(joint actionあるいはpublic action)」が、様々な歴史的局面で有効に機能していた。「古代地中海世界における知の伝達の諸形態」プロジェクトは、その成功の鍵となっていたのは構成員のあいだの適切な知識の伝達と組織化、及びその共有であったという見通しのもと、知識の伝達の多様なメカニズム(創造、拡散、増幅、継承、変形、横領など)に寄与したメディアの特質とその相互作用に関する領域横断的な共同研究を推進している。
  コミュニティの「共同行為」にとって不可欠な集団の一体性の維持に関わる様々な情報(アイデンティティの源となる神話の伝承、それを確認する行為としての祭儀の暦や規定、支配や権力の正統性を担保する系譜、他者への認識、繰り返し言及される過去の事件の記憶、正義と不正に関わる不文法と成文法、軍事的な技術と慣習、経済的な倫理観など)を知識として定義するならば、古代地中海世界では、知識は多岐にわたるメディアを通じて、共時的にも通時的にも、コミュニティの構成員の思考とその行動選択に作用していたことが知られている。同時に、この世界における知識をめぐるメディアのダイナミズムを浮き彫りにするためには、ギリシア・ローマ研究における既存のディシプリンの枠組みを大胆に踏み越える必要があることは言うまでもない。
  そこで、このシンポジウムでは、公的な演説における修辞戦略、顕彰という行為をめぐるギリシア碑文文化の動態、ローマ皇帝の肖像彫刻の普及という、口承、文字、図像をそれぞれ核とする三つのトピックに関する事例報告をもとに、ギリシア哲学、エジプト学、古代末期の専門家がそれぞれの視点から加えるコメントを緒として、古代地中海世界における知の伝達をめぐる問題系を、参加者とともに幅広い視野から考えていきたい。


シンポジウム3

黒人女性の視点から再評価する公民権運動
―人種、ジェンダー、階層、宗教による差別解消と正義を求める運動との有機的関連―

 

西﨑 緑 黒人女性コミュニティ組織や学生組織の公民権運動への関わり
佐藤千登勢 カトリック信仰に基づいた人種平等を求める闘い
北 美幸 公民権運動に参加したユダヤ人たちの関わり
土屋和代 生存権を問う―公民権運動と福祉権運動―
コメント 兼子歩
(企画:岩本裕子)

(本館2階 24番教室)

 キング牧師に代表される黒人男性指導者による、組織的かつ非暴力的抵抗運動の成果によって、人種差別が克服された、と長く描かれてきた「公民権運動」の評価に関して、近年の歴史研究では、1950~60年代における他の社会運動との、有機的関連で捉え直す必要があるという問題意識が提起されている。
 こうした従来の公民権運動史からの離脱を図り、同時期の他の社会運動との関係で公民権運動を相対的に位置づけ、公民権運動史を再構築することを、本シンポジウムでは追求してみたい。特に階級・宗教・ジェンダーをめぐる運動との間に見られる連携と緊張の関係の中で、公民権運動が如何なる影響を受けていったのか、という課題に注目したい。
 その方法として、従来の公民権運動史においては十分評価されてこなかった、女性や他のマイノリティグループの運動に着目し、彼らの運動がいつどのように始まり、1950~60年代に何を目指すようになっていたのかを明らかにした上で、公民権運動との結びつきを捉えて見る。具体的には、まず4人の報告者から、①黒人女性のコミュニティ組織や学生組織の運動が公民権運動に果たした役割、②信仰に基づいて、人種平等を実現するために活動したカトリック教徒の組織、③大学生を中心として展開されたユダヤ人活動家による人種平等を求める運動、④黒人女性のシングルマザーが中心となり生存権を問うた福祉権運動、について報告し、その後、参加者との議論でテーマを深めていく。各運動の相互関係や、抑圧と被抑圧、対立と連携、排除と包摂の重層構造の中で公民権運動の意味を問いつつ、参加者とともに議論していきたい。


シンポジウム4

地域と歴史学
―その担い手と実践―

 

渡邊昭子 ノーグラード県文書館にない文書について
志田達彦 19世紀半ばドイツの史料編纂と歴史記述―『14-16世紀ドイツ諸都市の年代記』の史料解題における都市史記述―
土肥恒之 世界史像と地域概念
コメント 木畑洋一 夏目琢史
(企画:石井健)

(本館3階 36番教室)

 日本の西洋史研究において、地域史、すなわち地域という国とは異なる空間領域を対象とした実証研究の手法が定着して久しい。その源流を探ってみると、いわゆる戦後歴史学に往時の勢いの陰りが見えはじめた1950年代後半に行き着く。とりわけ、戦後ようやく再開された在外研究の下、留学先の国々ですでに長く営まれていた地域史研究の実際に触れ、帰国後その重要性を説いた増田四郎や新たな英国史像を描いた越智武臣の存在が先駆者としてあげられる。以後、原史料に基づく精緻な実証研究へと日本の西洋史研究が進むにつれ、対象領域としての地域の重要性もまた増していったといえよう。
 こうした観点からすると、1997年から刊行が始まった「地域の世界史」シリーズは一つの到達点であった。地域史研究が日本の歴史学研究全体の一般的方法として定着したことを示すこのシリーズでは、従来の国史中心の歴史研究の限界を具体的な地域史研究の成果によって示しつつ、地域概念の多様性にも着目し、地域概念自体の背景にあるアイデンティティの問題や歴史を叙述する側の認識問題を指摘している。しかし、地域史研究が可能となった諸前提については立ち入った考察が行われず、シリーズ刊行後もこの問題を扱ったまとまった研究成果のないまま、現在に至っている。
 そこで本シンポジウムでは、西洋史研究における地域史研究のあり方を、地域の文書館や歴史協会といった地域史研究を支える組織や施設、地域史研究を担った個人や機関、そしてまた歴史記述における地域像・地域概念の成立過程を通して、その社会的基盤から歴史的に問い直したい。

 

シンポジウム5

忠誠のゆくえ
―近代移行期における軍事的エトスの比較史―

 

谷口眞子 西周の軍事思想―服従と忠誠をめぐって―
吉澤誠一郎 辛亥革命にみる軍人の忠誠と反逆
鈴木直志 ドイツにおける軍旗宣誓
コメント 丸畠宏太 西願広望
(企画:谷口眞子)

(本館2階  20番教室)

 本シンポジウムは、日本・中国・ドイツの近代移行期における軍事的エトスのうち、主に忠誠をとりあげ、軍隊編成・徴募方法・軍事思想・軍事教育等との関係を考察することによって、近代移行期の軍事的世界を近世史の側から解釈しようとするものである。
 近代化と呼ばれる事象は、近世の身分的階層社会の変容・解体と、職業軍人から国民皆兵へ、という軍事の担い手の変化を、多かれ少なかれ含んでいる。近代国家はその組織・機構の一部として常備軍を形成したが、そこには当初、近世にみえるさまざまな軍事的価値観が反映されていた。軍人の徴募方法や免役者の規定、軍人としての権利と義務、軍律や刑罰の方法などには、前近代の遺産が見いだせる。とりわけ、軍隊の担い手が広がったため、多様な価値観が軍隊に混在することになり、国家は軍隊を管理・維持し、国防を支える機構たらしめるために、共有されるべき新たな軍人精神を求めた。そのひとつが忠誠である。
 軍隊において上官の命令を遵守し、忠誠を尽くすことが求められるのは洋の東西を問わないが、いかなる行為が忠誠を尽くすことを意味しているのか、忠誠義務違反にどのような刑罰が課されるのか、忠誠の対象は国家なのか君主なのかなど、忠誠の質には時間的・空間的に違いがある。忠誠という、一見すると抽象的な概念を中心にすえたのは、忠誠とつながる具体的な軍事的世界が明らかになり、近世からみた近代の脱構築の一助になると考えたからである。
 シンポジウムでは、佐々木真(フランス近世史)が司会をつとめ、谷口眞子(日本近世史)報告「西周の軍事思想―服従と忠誠をめぐって―」、吉澤誠一郎(中国近代史)報告「辛亥革命にみる軍人の忠誠と反逆」、鈴木直志(ドイツ近世史)報告「ドイツにおける忠誠宣誓」のあと、丸畠宏太(ドイツ近代史)と西願広望(フランス近代史)が、比較史的視座からコメントする。

 

シンポジウム6

障害の歴史
―20世紀前半における英・米・独・日の事例から―

 

中野智世 当事者運動と障害の序列化―1920年代~40年代ドイツにおける『身体障害者連盟』の活動を手がかりにー
大谷 誠 知的障害児の親の声―1930年代~1950年代のイギリスを事例として―
藤原哲也 第二次世界大戦前後の合衆国における戦争障害者の生活支援
鈴木晃仁 精神障害とジェンダー―20世紀前半東京の精神病院における症例誌の分析から―
コメント 市野川容孝,川越修
(企画:中野智世)

(本館3階 38番教室)

 本企画は、日本の歴史学があまり取り上げることのなかった「障害の歴史」という領域を、あらたに切り開こうとする試みである。大多数の他者と「異なる」存在であること、どのように定義されるにせよ、「障害者」として生きることは、現在と同様、過去においても、しばしば、いわゆる「健常者」とは別の世界に生きることを意味した。そうした「正常‐異常」、「健常者‐障害者」といった人間集団を分かつ境界線・垣根――むろんそれは絶対に越えられない壁ではなく、しばしば越境可能であり、かつ膨大なグレーゾーンを含む――は、歴史的にどのように築かれてきたのだろうか。境界線のあちらとこちらではどのように世界が異なっていたのか。両者のあいだに行き来はなかったのか。しかし、こうした問題について私たちの知っていることはあまりに少ない。
 上記の問題を考えるために、本企画が特に着目するのは、福祉国家体制が整備されはじめる20世紀前半である。この時期、心身において何らかの「異なる人々」は、教育・医療・福祉の対象として「発見」され、保護や監視、あるいは補償の対象として定義づけられた。本企画では、現在の制度や障害理解の基盤が築かれたこの時期に、制度の側で記録され、残された史料、あるいは「障害者」とされた人々自身があげた声を手がかりとして、当時の社会における「障害」の意味を明らかにしたい。
 階級、民族、ジェンダーといった視点の導入が従来の歴史像を塗り替えたように、障害というあらたな視角から見える地平、あらたな歴史像の可能性を考えることが、本企画の最終的ねらいである。

 

シンポジウム7

エゴ・ドキュメントの比較史
―ヨーロッパの事例から―

 

大黒俊二 俗語とリテラシーからみた「エゴ・ドキュメント」―中世末期イタリアの女性筆者を手がかりに―
安村直己 スペインによるアメリカ植民地の形成とエゴ・ドキュメントの拡大
小野寺拓也 感情と情報リテラシーの狭間で―噂・ニュース・エゴドキュメント―
コメント 長谷川まゆ帆 松井康浩
(企画:長谷川貴彦)

(如水会百周年記念インテリジェントホール)

 エゴ・ドキュメントという言葉の起源は、1958 年にオランダのホロコースト研究者が用いたことにあると言われ、「一人称」で書かれた資料、具体的には、日記、書簡、自叙伝、回想録、証書などを意味する歴史用語である。現在のヨーロッパでは、各地でエゴ・ドキュメントに関する史料編纂や方法論的革新の取り組みがおこなわれている。本シンポジウムは、このエゴ・ドキュメントを中心とした歴史研究の状況を紹介することをひとつの目的とする。
  エゴ・ドキュメント研究の歴史は長く、19世紀の実証主義史学まで遡ることができる。その後エゴ・ドキュメントを用いた研究は一時退潮するが、1970年代になると再評価の機運が訪れる。それはアナール派を中心とする心性史への関心からであり、広くローレンス・ストーンのいうところの「物語の復権」と結びつけられている。そして何よりも、1980年代以降のミクロストリアの潮流が決定的であった。
  現在のエゴ・ドキュメントへの関心は、言語論的転回ないしはニューロ・ヒストリー等の新しい動向とも密接に関連している。言語論的転回は言語や象徴などのもつ規定性・拘束性を強調してきたが、近年は「主体の復権」ともいえる現象が発生している。またニューロ・ヒストリーを受けた自己の内面への関心は、感情や身体性への注目を促している。こうした理論的関心が、エゴ・ドキュメント論を歴史学の中心的主題へと浮かび上がらせているのである。
  本シンポジウムは、こうした研究史的背景を考慮しつつ、中世・近世から現代にいたるヨーロッパ内外で生産されたエゴ・ドキュメントの分析の実践例を提示して、その歴史研究における射程を明らかにする。3つの報告に対して、近世フランス史(長谷川まゆ帆)と現代ソヴィエト史(松井康浩)の立場から具体的な素材を提供してもらい、広くエゴ・ドキュメント研究を貫く「書くこと」と「読むこと」の問題について、論点を開示していただくことにしている。

 

 

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