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大会特別企画シンポジウム


2021年5月15日(土)
15:00~18:00

「歴史総合」の史学史――「問う私」を問う――


ワークショップ(1日目)


2021年5月15日(土)
18:10~19:10

日本の大学で西洋史学を教える――教室での実践から――


小シンポジウム


2021年5月16日(日)
15:20~18:20

I: 古代地中海世界における知の動態と「文化的記憶」

II: 信仰の世界地図――長崎26聖人信仰の視覚化とその伝播をめぐって――

III: 「礫岩のような国家」に見る「主権」理解の批判的再構築

Ⅳ: 伝統社会の司法利用――紛争当事者の行動に注目する史料研究の可能性と課題――

Ⅴ: 文化史(歴史人類学)としての比較史について――民画東西比較研究を題材に――


ワークショップ(2日目)


2021年5月16日(日)
15:20~18:20

西洋史ウィキペディアワークショップ――レクチャーと作業セッション――



大会特別企画シンポジウム

「歴史総合」の史学史――「問う私」を問う――


井野瀬久美惠(甲南大学)趣旨説明
高澤紀恵(法政大学)「「ここ」と「世界」――西洋史学の場所」
成田龍一(日本女子大学・名誉教授)「「日本」の問いかた――「歴史総合」の史学史/明治維新を例に」
小川幸司(長野県蘇南高等学校)「Covid-19時代の「歴史総合」の可能性を考える」
コメント:井野瀬久美惠

企画:井野瀬久美惠(甲南大学)、平野千果子(武蔵大学)

 2022年度から、高校では新科目「歴史総合」が必修化される。「歴史総合」をめぐっては、すでにこれまでもさまざまな場で、主に実践をめざした議論が行われてきた。その多くが、「歴史総合」の起点を、この新科目立ち上げの機動力となった日本学術会議の提言(2011年8月)同様、いわゆる「世界史」未履修問題(2006年発覚)に置いていた。確かにそれは制度や施策が動き出す直接的な契機であるのだが、「歴史総合」の挑戦の矛先が「日本史」「世界史」という二教科体制に向けられていることを意識するならば、「歴史総合」の起点は未履修問題よりずっと以前――日本史・東洋史・西洋史という歴史学の枠組みや、世界史という概念をめぐる議論と関わる時期に求めることができる。

 以来、日本の歴史教育が前提としてきた「日本史」「世界史」という枠組みを統合する初の試みこそ、「歴史総合」に他ならない。そこには、ナショナルヒストリーを超える試みと西洋中心主義を脱する試みとが合わせ鏡となり、よって、歴史を語る「主体」の問題が不可分に組み込まれている。主体が異なれば、同じ出来事の見方も呼称も変わり、用語解説や概念理解も揺さぶられる。揺さぶられ、せめぎ合うのは、日本史と西洋史の境界のみならず、歴史研究と歴史教育、「専門」と「教養」など、われわれが議論の前提とみなす枠組みそのものであろう。

 本シンポジウムでは、教育にも精通した西洋史と日本史の専門家3人をパネリストに迎え、史学史の視座から「歴史総合」の課題と可能性を考えてみたい。

 高澤紀恵報告「『ここ』と「世界」——西洋史学の場所」では、「日本史」「世界史」という二教科体制の起点を敗戦後、1950年前後に認め、その成立と「西洋史学」という学問とを重ねながら、本シンポジウムの「問題の起点」を定める。

 成田龍一報告「「日本」の問いかた――「歴史総合」の史学史/明治維新を例に」では、日本史学と研究教育の関係を科目としての「日本史」から考え、何が「世界史」との対話を困難にしているか、明治維新を事例に明らかにし、その解決の鍵を探る。

 小川幸司報告「COVID-19時代の『歴史総合』の可能性を考える」では、明治以降の「世界史」の試みとその課題とをあぶりだし、教師と生徒の対話を通じた歴史像の構築に不可欠な「主体の構築」に、「歴史総合」の活かす道を求める。

 その後全体を俯瞰するコメントののち、質疑応答、討論に移る。オンライン開催という制限はあるが、ここでの対話が今後につながることを願ってやまない。


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ワークショップ(1日目)

日本の大学で西洋史学を教える――教室での実践から――


高橋亮介(東京都立大学)趣旨説明
実践例の報告:森谷公俊(帝京大学)、八谷舞(亜細亜大学)
コメント:津田拓郎(北海道教育大学旭川校)

企画:高橋亮介(東京都立大学)

 本ワークショップでは、大学で西洋史を教えるにあたって、学生に何を伝え、何を学んで欲しいと考えているのか、いかなる工夫をし、いかなる悩みを抱えているのかを率直に話し合い、意見交換することを目的としています。

 これまで西洋史学会のシンポジウムでは歴史教育がたびたび取り上げられてきましたが、大学の教壇に立つのを日常とし、あるいは教育に携わる職に就くことを希望する西洋史研究者が実際にどのような授業を行い目指すのかについて、公の場で語る機会は多くありませんでした。また大学ごとに設けられるFD研修では特定の分野に固有の問題を掘り下げることが難しいという問題もあります。したがって専門を同じくする研究者が集まる学会で授業実践について話し合うことに意味はあるでしょう。

 西洋史学を学ぶ意義は、学問への熱意を持つ学生たちだけなく、異文化への漠然とした憧れを抱いて教室にやってくる学生、卒業要件という外的な要請から履修する学生たちに対して、どのように説明されるのでしょうか。授業の内容や目的、受講生の学年によって、異なる説明や評価がなされることもあるでしょう。大学教育のなかで様々に位置づけられる西洋史を教えるにあたって、私たちは何を伝えようとし、どのように授業を組み立て、どのような観点から評価しているのでしょうか。本ワークショップでは、卒業論文執筆を含めた史学科での専門教育、初等中等教育に携わろうとする学生を対象とする教員養成課程、大学で唯一西洋史を学ぶ機会となるかもしれない教養科目の担当者という異なる立場にある教員から日々の実践についてお話しいただき議論の糸口とします。まず『学生をやる気にさせる歴史の授業』(青木書店、2008年)などにより授業実践の紹介と授業改善への提言をしている森谷公俊氏(帝京大学文学部)と、海外留学、高等学校・大学での非常勤講師、助教職を経て、現在講師として西洋史を担当している八谷舞氏(亜細亜大学法学部)から話題提供を、続いて津田拓郎氏(北海道教育大学旭川校)から教員養成課程の事情も踏まえたコメントをいただき、フロアからの意見を募ります。


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小シンポジウムⅠ

古代地中海世界における知の動態と「文化的記憶」


周藤芳幸(名古屋大学)趣旨説明
田澤恵子(古代オリエント博物館)「古代エジプトのダムナティオ・メモリアエ――「『記憶史』のまなざし」で視る王名表――」
藤井崇(京都大学)「ローマの戦争とその記憶:ギリシア人の視点から」
川本悠紀子(名古屋大学)「記憶から創造へ:異文化の記憶とその受容」
福山佑子(早稲田大学)「ローマ皇帝の「記憶」の構築」

企画:周藤芳幸(名古屋大学)

 科研費基盤研究(A)「古代地中海世界における知の動態と文化的記憶」プロジェクトは、ドイツの文化学者アライダ・アスマンとエジプト学者ヤン・アスマン夫妻の提唱する「文化的記憶」の概念を導きの糸として、さまざまなディシプリンの知を統合することにより、古代地中海世界における知の動態の解明に取り組んでいる。アスマン夫妻によれば、あらゆる文化は、個々の人間を社会の次元と時間の次元で「我々」という集団に結びつける意味編成(神話、文学、象徴など)を構築している。それぞれの文化が存続していくためには、この意味編成が常に維持され、伝承され、想起という能動的な行為によって繰り返し活性化されなくてはならない。「文化的記憶」とは、この意味編成の連続性を維持するための文化的技術の総称であり、身体、声、文字、イメージ、建築物、場所などによって客体化されていた。古代のエジプトでは、そのような文化的記憶を継承するための中心的な場である「生命の家」において儀礼を通じた現実の再構成と新たな創造が行われていたことが知られているが、そのような恒常的な機関を欠く古代のギリシアやローマにおいても、聖域で挙行された儀礼、公的空間に建立されたモニュメントや碑文の創造と破壊、議会や法廷で交わされた弁論などにおいて、神話から歴史にいたる過去の知が繰り返し想起され、新たな文化的記憶を創出し続けていたことは周知の通りである。

 そこで本小シンポジウムでは、エジプト王朝時代からローマ帝政期にいたる環地中海世界の諸社会における文化的記憶のあり方とその社会的機能について多角的に検討することを目指して、エジプトの比較神話学を専門とする田澤恵子、ヘレニズム研究で国際的に活躍する藤井崇、建築史の視点からローマ文化史の再構築に取り組んでいる川本悠紀子、ダムナティオ・メモリアエについての著書を公刊したばかりの福山佑子という、わが国における西洋古代史研究の将来を担う中堅から若手の研究者4人が報告を行い、本プロジェクトのメンバーを中心とするコメンテーターがそれに応答するという形で、創造的な議論の場を構築することを意図している。フロアからも活発な提言を期待したい。


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小シンポジウムⅡ

信仰の世界地図――長崎26聖人信仰の視覚化とその伝播をめぐって――


小俣ラポー日登美(日本学術振興会特別研究員PD)趣旨説明
大場はるか(久留米大学)「17・18世紀の中欧における日本人殉教者の造形芸術――ドイツ語圏南部からボヘミアへ?――」
川田玲子(同志社大学)「 図像から探る日本(長崎)26聖人殉教事件に関する伝番とその認識――メキシコの事例――」
小俣ラポー日登美「聖なる肌色と身体的他者性の受容――「日本人」は近世ヨーロッパのキリスト教徒にどのように描かれたのか――」
司会・コメント:伊川健二(早稲田大学)

企画:小俣ラポー日登美(日本学術振興会特別研究員PD)

 従来、カトリック教会で崇敬対象として認められ普及していた聖人は、ヨーロッパ出身者が主体であったが、宗教戦争や世界のグローバル化により聖性のあり方も大きく変容し始めていた近世ヨーロッパでは、非ヨーロッパ世界出身の聖人候補者も次々に現れ始めた。この文脈で、同時代の殉教者をさしおき、いち早く教会から認知されたのが、日本のいわゆる長崎26聖人と現在呼称される人々である。長崎26聖人は、1597年に豊臣秀吉政権下の日本・長崎で処刑された26聖人の殉教者を指す。多くのキリシタン犠牲者の中でも、この26聖人が特別なのは、近世の間に聖人とはならないまでも(列聖1862年)、1627年にローマ教皇庁に列福され、彼らへの信仰が部分的に公認されるようになったためである。この聖性の公認を受けて、同時代には彼らへの崇敬は、キリスト教が禁止され鎖国政策が実施された日本国内ではなく、むしろ国外の様々な場所で隆盛した。つまり、日本の殉教者への信仰は、日本の域外の現地の史的文脈を鑑みながら考察される必要があるだろう。

 ヨーロッパ内では、日本へ宣教師が直接派遣されていた南欧諸国で彼らの崇敬が盛んだったのはもちろんのこと、宗派間闘争の前線であった南ドイツからボヘミアにかけては、イエズス会がこの殉教者たちの一部を熱心に図像化した。一見日本に直接的な縁の無い地で起きたこのような現象は、かの地において対抗宗教改革の旗手としてカトリック諸侯の後ろ盾を受け、勢力的に活動したイエズス会の一連の文化的事跡と併せて分析されるべきである(大場はるか第1報告)。一方、スペイン帝国統治下のヌエバ・エスパーニャでは、殉教した26人の中でも、フランシスコ会宣教師フェリーペ・デ・ヘスース個人への崇敬が特に盛んとなり、ヨーロッパとは全く異なる文脈で多数のヘスース画像が作成された。ここにも、現地特有の史的背景を考慮する必要が見られる(川田玲子第2報告)。このように、日本の殉教者の聖性は、身体的な「他者」性を乗り越えて、世界各地の特殊状況に適応して可視的に認知されるようになった。最後にローマを中心としたその受容の過程を、当時のカトリックにおける肌の色の表現の宗教的意味を通じて考え直したい(小俣ラポー日登美第3報告)。

  (付記)本報告は、2020年度(2020年8月〜2021年7月)のサントリー文化財団研究助成「学問の未来を拓く」に採択されたプロジェクトに基づく。


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小シンポジウムⅢ

「礫岩のような国家」に見る「主権」理解の批判的再構築


古谷大輔(大阪大学)趣旨説明
佐々木真(駒澤大学)「近世フランスの主権と国家」
後藤はる美(東洋大学)「礫岩のような国家と近世的主権――17世紀イギリスの例から――」
内村俊太(上智大学)「近世スペインにおける教会統治」
コメント(西洋史の立場から):近藤和彦(東京大学・名誉教授)
コメント(東洋史の立場から):杉山清彦(東京大学)
コメント(日本史の立場から):木村直樹(長崎大学)

企画:古谷大輔(大阪大学)

 「礫岩のような国家」論は、複合的な国家編成に着目しながら、近世ヨーロッパの政治社会の姿を見出そうとした議論である。それが描く国家は、「政治共同体と君主による統治」をときに実現し、複数の地域間における「対等な合同」と「従属的な合同」を実態としてあわせもった。この議論は、主権者を一君に限定し、領域性を前提としながら国家形成を語ってきた従来の主権成立史といかに接合されるだろうか。

 複数の地域が異なる方法で主権者と結びつく「礫岩のような国家」は、対内的には統合と複合の戦略が拮抗するなか、主権者と住民集団との交渉を通じて成立した。対外的には宗教改革や戦争を通じた普遍権力の再定義と、教皇庁や他の礫岩政体との競合を生き抜くなかで、各地域にそれぞれの主権の姿が整えられていった。このシンポジウムは、「礫岩のような国家」の緊張関係が端的に発現した主権の問題に焦点を絞り、近世的主権のあり方を批判的に再構築しようとするものである。

 このような視角は、J.モリルらの「変容する君主政」論やH.シリングらの「宗派化」論、A.オヅィアンダーらの「ウェストファリア神話」論など、主権国家への発展を自明の所与とすることなく、各地域の内発的な問題を外延的な契機と結びつけて検討する近年の研究とも親和性をもつ。また人文地理学や政治思想史など、隣接する研究分野での主権再考の試みとも呼応するだろう。

 このシンポジウムでは、主権が形作られる過程でみられた近世的主権の実態を析出することをめざし、第1報告では16世紀以降のフランスにおける主権論の展開(佐々木真)、第2報告では17世紀イギリスにおける法の運用(後藤はる美)、第3報告では16世紀スペインにおける教会統治(内村俊太)を論じる。さらに、これらの報告に対して西洋史(近藤和彦)、東洋史(杉山清彦)、日本史(木村直樹)の視点からコメントを得ることで、近世ヨーロッパの主権理解を世界史的な観点から相対化する機会としたい。


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小シンポジウムⅣ

伝統社会の司法利用――紛争当事者の行動に注目する史料研究の可能性と課題――


松本尚子(上智大学)趣旨説明
中谷惣(大阪大学)「中世後期イタリア都市における刑事司法の利用」
小林繁子(新潟大学)「Infrajustizとしての請願――マインツ選帝侯領の魔女迫害を例に――」
カール・ヘルター(マックス・プランク法史法理論研究所)「近世ヘッセン諸領邦の下級刑事裁判権における司法利用とInfrajustice」
コメント(中国法制史の立場から):寺田浩明(京都大学・名誉教授)

企画:松本尚子(上智大学)

 裁判記録を用いる史料研究において、近世史を中心に、住民の「司法利用」に着目した研究が増えている。そこで問われるのは、住民がどのような局面でどのように司法にアクセスし、逆に回避するのかという、司法戦略である。「訴える人」にフォーカスする研究は、官が作成する判決や尋問調書以上に、当事者やその関係者の手による訴状や不服申立て、請願、告発、嘆願に関心を寄せる。

 新しい史料の開拓に一つの理論的枠組みを与えたM.ディンゲスは、日常における住民の「司法との関わり全般」を「司法利用」と呼んだ。ディンゲスは、紛争の当事者が目指すのは自分に起きたトラブルの解決であって、裁判はそのための選択肢の一つに過ぎないという。当事者たちの司法戦略は裁判より前に始まり(公証人文書、請願)、裁判回避(不出頭・取下げ)を視野に入れつつ、とくに判決後も続く(恩赦嘆願)。一方で、こうした研究において「司法」もしくは「司法利用」の範囲をどこまでと考えるかについて、研究者の理解は一様ではない。「司法利用」概念提唱から30年が経つ今も、住民の主体的行動を主眼に置いた紛争研究がどのような射程をもち、どのような問題をはらみ、いかなる知見をもたらし得るかが明らかにされたとは言えない。

 以上を踏まえて、本シンポジウムでは、住民の「司法利用」を題材とする史料研究の可能性と課題を考える。裁判記録その他の紛争解決関連史料を用いた研究の実例から、手続利用者の実像・戦略・公権力との相互作用の3点を中心に、司法利用研究の射程を探る。ひとつの目標として、前近代の西洋と東洋における紛争解決の在り様を比較するための、何らかの尺度を探りあてたい。なお、本シンポジウムの対象は、各国の公文書館に残存し、法制史や歴史犯罪研究が対象にしてきた下級・上級刑事司法の事例に絞ることにする。

 当日は3つの報告と1つのコメントを予定している。中谷報告は14世紀前半のルッカを対象に刑事告発の発信元を追い、小林報告は17世紀ドイツの魔女裁判において「請願」が果たした役割を問う。へルター報告は、近世のヘッセン諸邦における下級刑事裁判権を例として、歴史犯罪研究で注目されるinfrajustice概念と「司法利用」概念の関係を考察する。コメンテーターには中国法史家の寺田浩明氏を迎え、前近代西洋における紛争、裁判制度や裁判記録の独自性について、東洋法制史の視点からコメントをいただく予定である。


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小シンポジウムⅤ

文化史(歴史人類学)としての比較史について――民画東西比較研究を題材に――


原聖(青山学院大学) 趣旨説明
坂内徳明(一橋大学)「西欧における民画研究の現状と比較の視点」
三山陵(日中藝術研究会)「中国民間版画「竈神図」の地域差について」
久野俊彦(東洋大学)「日本の民畫から民衆画へ――素朴性と実用性――」
コメント:竹下和亮(東京外国語大学)

企画:原聖(青山学院大学)

 フランスの歴史人類学者アンドレ・ビュルギエールは、「我々が今日歴史人類学と呼ぶ研究は、マルク・ブロックが心性史に託していた研究の延長線上にあるものと言ってまず間違いない」(ビュルギエール(編)『歴史科学事典』仏文1986年)と、「アナール学派」初期におけるブロックとその心性史の重要性を語り、それが現在では歴史人類学につながっている、という認識を示した。心性史はアナール学派第3世代を経由し、1990年代、「新しい文化史」「社会文化史」に受け継がれた(拙稿「「危機」以降のフランス歴史学」『岩波講座、日本歴史、月報21 』2015年)。ビュルギエールは、ブロックの生誕100年を記念するシンポジウムを「比較史と社会科学」と名付けて開催した(1986年)。ブロックの最大の貢献を比較史と考えたのであり、彼の『比較史の方法』(邦訳2017年)では、同時代の英仏の比較など「小範囲の比較」と欧州全体のような「全体的比較」が提唱された。「すべての歴史叙述が文化史になりつつある現代」(ピーター・バーク『近世ヨーロッパの言語と社会』邦訳2009年)、バークは、「近い比較」と「遠い比較」という形で比較史の重要性を述べる。現代の史学方法論で比較史について論じるのが、「交差する歴史」(『大分岐』ポメランツ、邦訳2015年)であり、『接続された歴史』(スブラフマニアム、邦訳2009年)である。こうした比較は「文化的な違いの大きい事例の比較」(バークほか編『新しい歴史学方法論を議論する』英文、2019年)である。

 日本で比較史の方法論を議論しつつ、比較史研究を実践しているのが、比較都市史研究のグループであり、私が代表を務める科研プロジェクト「新しい文化史としての民画東西比較研究」(2019―21年度)である。本シンポジウムでは、前半に原がまず史学方法論について問題提起を行い、比較史研究の竹下和亮がコメントを行う。後半の具体的な民画東西比較研究については、原聖がフランスを中心とした西欧の民画を比較史的に分析し、さらに東西比較のための視点をいくつか提供する。また中国版画・民間美術研究の三山陵が中国民間版画について「近い比較」を行い、日本民俗学の久野俊彦が日本の民衆画を概念的に整理し、東西比較を行う。最後に原を中心に、三山、久野の三者で比較史の可能性について総合的に論じる。


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ワークショップ(2日目)

西洋史ウィキペディアワークショップ――レクチャーと作業セッション――


※レクチャーは15:20~16:20の予定

企画:北村紗衣(武蔵大学)

 本ワークショップは、西洋史研究とウィキペディアの関係を考えつつ、研究者が教育や研究アウトリーチに際してウィキペディアを効果的に利用できるよう支援するためのものである。ウィキペディアは現在、子供や学生が調べ物をする際に最初に使用する入り口のひとつとなっているが、それぞれの記事の質は必ずしも高くないものもある。西洋史記事についても記事の質は非常にばらつきがある。このため、信憑性のない情報の発信源、学生が不適切なレポートを書いてくる原因のひとつであるとしてウィキペディアを批判的にとらえる研究者も多い一方、ウィキペディアを教育ツールとして使用しているプロジェクトは複数あり、一定の成功をおさめているものもある。ウィキペディアが研究者の専門知識を市民に還元できるアウトリーチの窓口であることは認めざるを得ないであろう。

 本ワークショップにおいては、まずは講演者でウィキペディアンである北村紗衣のレクチャーにより、ウィキペディアに関する基本的な決まりや習慣、学術コミュニティとの関係などについて押さえた後、西洋史記事の現状について簡単に確認する。その後、ウィキペディアの編集の仕方や利用法を学び、質疑応答を行う。ワークショップの終盤では、北村及びアシスタントのウィキペディアンで西洋史研究者である永井大輔のサポートにより、参加者が自分でウィキペディアを編集したり、場合によっては簡単な記事を作ったりする作業を行う。

  前半のレクチャー部分については大会参加登録者であれば誰でも参加できるものとするが、終盤の作業セッションについては参加人数は20名程度までとし、場合によってはグループワークなどを行う可能性もある。作業セッション参加者は事前にウィキペディアのアカウントを取得しておく必要がある。当日はウィキペディアのプロジェクトページにサインインするところから始め、下書き作りなどを経て可能能であれば記事の加筆や作成に進む。とくに修正したい記事や作りたい記事がある場合、記事の出典として使用できる学術書や論文などの資料を事前に準備しておくことを奨励する。


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Copyright© 2020-21 第71回日本西洋史学会準備委員会