小シンポジウム
14:15~17:15
I: 古代地中海世界におけるメディア・コミュニケーション・間テクスト性
II: 中世北ヨーロッパにおける海域ネットワーク、島嶼、政治権力
Ⅳ: 周縁からのフェミニズムの再検討
―イギリス女性たちに見るOur Storyとour storiesのはざま―
Ⅴ: デジタル・ヒストリーの無限の可能性を拓く
―19~20世紀のオーストラリアの歴史的公共圏の展開を公開集会の分析により解明する―
Ⅵ: 核時代史の可視化を目指して ―放射性物質の政治文化史―
Ⅶ: 歴史教育改革のゆくえ ―高校・大学の教育現場の現状と課題、そして展望―
18:00~19:00
史料は、それが伝達しようとする内容だけでなく、形態や、史料をとりまくコンテクストに規定されている。同時代および後世における、その利用と受容、史料のおかれた社会のありかた、そして、史料がどのようなジャンルに分類され、どのような支持体(たとえば石やパピルスや、さらに声など)によって伝えられ流通したのか、といった外的な史料批判を踏まえることで、はじめて同時代人にとっての当該史料の意味を再現し、史料が残されたことの意味に近づくことができる。
「テキスト間相互関連(インターテクスチャリティ)」に注目する研究は、テクストが、単体で理解されず、先行するほかのテクストの影響下にあると論じている。つまりテキストの読解は、テキスト内部で完結せず、受け手がそれまでに出会った複数のテクストや、書簡や物語といったテキストの種別についての読者の知識の影響下にある。しかも、テクストがどのような形式上の特徴を有し、どのような媒体に書かれているのかによって、テクストが伝えるものは変わってくる。受け手がどのようにテクストを読むのかということは、その伝えられ方と受け手の立場に依存するのである。このことは、テクストが公私の空間のあいだで形態を違え、異なる複数の媒体のうえで伝えられる事例に明確に現れる。たとえば、石に刻まれて公共空間に展示される誓いの声や、街路で採集され公的言論に取り込まれた個人的な噂話、過去の栄光を伝えるために再利用される遺物、あるいは歴史叙述に取り込まれた演説や、書簡、対話形式の文学作品など、そのような事例は枚挙のいとまがない。
本シンポジウムでは、古典期アテナイの顕彰決議と冠奉納、プトレマイオス朝エジプトの書簡、ローマ帝政期小アジア都市の弁論空間にかんする3本の個別報告、そして日本古代、中国古代、西洋中近世からのコメントを通じて、ある特定のテクストが異なる媒体に取り込まれたり、ある特定の情報が、異なる複数の媒体のうえで機能する事例に焦点を絞って、メディアとテクストの関係について考察する。それぞれの社会において、ある特定の媒体や、テクストを記す行為そのものが持っていた政治的・文化的な志向性や制約について検討したい。
本パネルは、とりわけ島嶼の役割に注目しながら中世北ヨーロッパにおける海域と政治権力の展開の関係を考察し、中世グローバルヒストリーのあり方に一石を投じることを目的としている。
仮に国境を超えた諸要素の接続や比較をグローバルヒストリーの特徴とするならば、それは必ずしも欧米の歴史学の占有物ではない。いくつも存在するグローバルヒストリーの中でも、とりわけ海域をテーマとしたそれは、欧米よりもアジアを舞台とした海域アジア史などにより多くの蓄積を見ることができる。本パネルでは、ヨーロッパ各国で展開されている中世グローバルヒストリーのみならず、アジア各地を舞台とする前近代海域史などにも示唆を得ながら、海域ヨーロッパ(Maritime Europe)という視点を推し進めるためのヒントを得たい。
海域ヨーロッパは、海域アジアと同様に、海域や河川・湖沼とそれらをつなぐ島嶼によって作られる水系ネットワークという観点から、ヨーロッパ史を捉えなおす試みである。とりわけ水上輸送手段が陸上のそれよりも圧倒的に有利な前近代世界においては、こうした水系ネットワークの持つ意味合いは、近代のそれよりもはるかに大きな意味合いを持っていたことが予想される。加えて、前近代社会は、多様な自然環境と人間活動の関係という点をとっても、近代世界よりもそれらを意識しなければならない場面が多い。従来、史料の残存状況により、主として内陸部から構築されてきた権力展開を、島嶼という媒介を挟むことにより、海域と内陸との連携も射程に入れる。なお今回はそのような海域ヨーロッパのうち、北大西洋、北海、バルト海、黒海で連接される北ヨーロッパに焦点を絞る。
最初に小澤実により、パネル全体の意図と射程を含めた総論が述べられる。その後、4人の事例報告者により、権力展開と海域との関係に関する具体的な論点が提示される。第1報告者の菊地重仁はフランク王国史を、第2報告者のピョートル・ステファノーヴィチはルーシを、第3報告者の松本涼はアイスランド史を、第4報告者のルイス・シキングは大西洋・北海の海事史を専門としている。4人の事例報告は、9世紀から16世紀までの北ヨーロッパ海域の多様な側面をカバーすることが可能であると同時に、日本人2名、ロシア人、オランダ人というようにそれぞれの出身国が多様で、それぞれの国に特徴的なヒストリオグラフィを反映した議論になることが予想される。他方でコメント1の佐藤公美は北イタリア・アルプス史を専門とし、事例報告の4名とは対照的な内陸部並びに地中海という観点から北ヨーロッパ海域の地域的特性を浮き彫りにすることが予想される。コメント2の橋本雄は中世後期日本の対外関係史を東アジアの文脈で論じる研究者であり、我々がよって立つ日本そして東アジア海域史との比較が期待される。
イギリスの歴史家J. ブルーアが、1989年に『権力の腱』(日本語訳『財政=軍事国家の衝撃』)を世に問うてから30年が経過した。P. G. M. ディクスンやP. K. オブライエンなどの研究成果を綜合し、彼が財政軍事国家(fiscal-military state)論を提唱したことは、長い18世紀のイギリス史像の刷新を促しただけでなく、近世・近代ヨーロッパ史研究にも大きなインパクトを与えることになった。21世紀に入ると、財政軍事国家論の対象が時間的にも空間的にも拡大すると同時に(イングランドではなく、ブリテン財政軍事国家の構想がその例のひとつである)、この概念の代替もしくは補完を目的とした財政海軍国家(fiscal-naval state)や契約業者国家(contractor state)などの概念も提唱され検討されている。
もとより、従来の財政軍事国家論においては、たとえば財政に注目するあまり、それ以外の国家にかかわる諸領域が等閑視されてきたなど、さまざまな問題が残されていることは否定できない。その是正を試みることは、なお重要な研究上の課題たりえるであろう。さらに近年の西洋史研究において、近世という時代への関心が高まりを見せていることをふまえれば、財政軍事国家論の意義や射程、限界をあらためて問い直すことは、大きな意味をもつと思われる。
このような問題関心から、本シンポジウムは、次の構成のもと、財政軍事国家論の再考を試みることにしたい。まず、シンポジウムを企画した中村武司が、問題提起をかねて、財政海軍国家論とこの概念の導入がもたらす可能性と問題点を論じる。その後、薩摩真介、辻本諭、石橋悠人の3名の報告者が、外交・戦略、軍隊、科学をめぐるケース・スタディをふまえた考察を進め、従来の財政軍事国家論において十分に省みられてこなかった分野に新たな光をあてることになる。
各報告ののち、古谷大輔が大陸側のヨーロッパの視点から、板倉孝信が近代イギリスの視点からコメントをおこない、イギリス史をめぐる4つの報告がもつ意義や問題点を批判的に検討する。以上をつうじて、本シンポジウムが、18世紀イギリス史や財政軍事国家論だけでなく、戦争と社会の関係、国家形成の問題、近世と近代の時代区分をはじめとする近世ヨーロッパ史の諸問題への理解を深め、参加者のあいだで議論を共有する機会になれば幸いである。
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18世紀末からイギリスの女性たちは本国および帝国の女性たちを対象とする様ざまな救済活動を展開し、連帯を模索するようになった。運動では時間、空間をまたいで女性ならではの共感と連帯の可能性が前提とされてきた。しかしながら、運動の実態を検討すると、「女性」という言葉で一括したときに不可視化されがちな共感の限界や連帯を阻む壁が常に存在したことが分かる。本シンポジウムでは異なった地域、時代に焦点あて、女性たちの間を隔てる壁が、階層やエスニシティといった軸に沿って再生産され続けてきた構造について考える。
第1報告では、反奴隷制運動の中で本国イギリス女性が西インドの女性の奴隷たちに向けた眼差しと西インドの奴隷たちのリアクションを軸に、両者が異なるものを求めていたことを明らかにする。
第2報告では、子ども支援チャリティに関わった女性たちが担ったさまざまな役割と、そこに生じていた「女性の仕事」の階層化と周縁化を取り上げる。
第3報告は1970年代~1980年代のブリテン女性のアンチ・アイリッシュ・レイシズムに焦点を当て、女性の運動において無意識のレイシズム「人種意識」による分断が存在したことを示す。
イングランドの女性たちの活動は、基本的には(白人)ミドルクラス女性たちが主導してきた。彼女たちが語る「私たち女性」の物語(Our Story)は、(白人)ミドルクラス女性たちが主人公の物語であり、その外側にこの範疇には入らない多くの女性たちによるそれぞれの「私たちの物語(our stories)」が存在したはずである。これまでの女性史では見落とされがちであったOur Storyとour storiesの関係性に注目し、二つの間の境界が双方からの働きかけにより、現在に至るまで変動し続けていることを明らかにしたい。
このセッションの目的は大きく分けて二つある。一つは、19~20世紀のオーストラリアにおけるパブリック・ミーティング研究の重要性を明示すること。もう一つは、それを解明するために用いるデジタル・ヒストリーの手法の革新性について述べることである。
公共圏に関しては、ユルゲン・ハーバーマスの理念型が有名であるが、社会運動や宗教的側面の欠落や階級やジェンダーに基づく特権的空間だという、当然の批判がつとに行われてきた。これに対しチャールズ・ティリーは、多数の研究者の助力を得て、8088件のデータに基づき1758-1834年の間にロンドンと周辺部において、民衆の国民的な公的領域への参加が暴力的なものから平和的なものに変化し、その手段としてのパブリック・ミーティングが劇的に増加したことを証明した。しかし、19世紀中期以降のパブリック・ミーティングの全国的な実態や世論形成の構造は明らかにはならなかった。
今回のセッションの基礎になったJSPS科研費 JP19H01330の研究は、情報技術を利用して、イギリスの政治・社会文化を受け継いだオーストラリアを舞台に、Troveの歴史的新聞データベースから、19世紀から20世紀の約150年間にわたる全パブリック・ミーティングの新聞広告データ約39万件をまず抽出し、さらに関連する新運記事と連動させることで、世論形成のプロセスを歴史的に解明し、それを支えた社会的ネットワークや市民的公共圏の構造を分析するプロジェクトである。
私自身も手作業で、2000件以上のデータを集めたことがあるが、それが限界で、こうした大規模な研究は潤沢な資金と労働力がなければ、かつては不可能であった。これを可能にするのが自然言語処理などのデジタル・テクノロジーである。私のような数式音痴の研究者には、とうてい実行不可能であるが、大阪大学データビリティフロンティア機構の助力によって、膨大な新聞データを機械的に読み取り、そこから19世紀から20世紀の歴史構造を再構築する可能性が開かれた。このプロジェクトが使用する予定のデジタル・ヒストリーの手法、パターンマッチングやOCRの修正、Stanford CoreNLP、時系列データマイニング技術、SNSマイニング技術などを活用できるのである。
このプロジェクトの特徴は、画像である膨大な量のPDFの新聞記事を、機械読み取り可能なテキストに変換し、そこから歴史研究の分析に必要な情報を抽出し、従来の歴史的な分析だけでなく、現在のSNSに対して行われているようなネットワーク分析等を行うところにある。歴史学、とりわけ近現代史の大部分情報は、機械で読み取り不可能な画像の状態にあり、OCRも誤りが多く、デジタル・ヒストリーの前進の最大の障害になっている。しかし、このプロジェクトが成功すれば、歴史家扱える資料は等比級数的に増加し、歴史研究の風景は一変する。また、現代の情報化社会分析のツールを歴史世界に遡及的に適応できるようになり、これまで見ることができなかた新しい歴史世界がそこに誕生する。またそれは、ハーバーマスの用いた理念型というような、陳腐でバイアスに満ちた概念を一掃することになるかもしれない。
セッションは大きく分けて3部構成で行う。第1部では、最初に研究全体の見取り図を示したのちに、世論形成や公共圏の構造研究の今日的な意義について論じ、そのなかで本プロジェクトのテーマであるパブリック・ミーティングの英語圏での研究状況の紹介を行う。質疑応答の後に、第2部では、研究の現段階で自然言語処理の手法がどのように用いられているかを紹介する。また、その組織的サポートについて説明する。最後に新しいパネリストを加えて、デジタル・ヒストリーの未来について討議で締めくくる。
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2011年初春の福島原発震災は、もはや記憶の彼方であろうか。来年の3月に十周年を迎えるあの日の強烈な印象から、自然と核分裂のエネルギーが有する超絶的な破壊力の恐怖体験から、同時代人として歴史研究者は何を学び、専門研究にどのように生かそうとしてきたのであろうか。
たしかに、日本史の分野では、例えば保立道久「地震と災害と『人新世』の歴史学」(『歴史学研究』2018年10月)は、文理の融合を目指す「ビッグ・ヒストリー」への大胆な問題提起を試みている。また、同論稿を掲載した雑誌『歴史学研究』は、シリーズ「3.11からの歴史学」を連載して回を重ね、災害とその記憶の歴史研究など新たな動向を伝えている。しかし、西洋史の分野では、福島核惨事の体験は、専門領域とは無縁な遠い極東の、それも単なる過去出来事としての意味しか持っていないように見える。
そうした状況への問題提起として、この小シンポジウムは、同時代史としての終わりなき「核時代史」へのアプローチを探る企画である。本企画の研究グループは、まず核開発の世界史的局面を、広く欧米諸国の個別核施設の事例研究を通して総合的に把握することを試み、『核開発時代の遺産――未来責任を問う』(昭和堂、2017年)を取りまとめた。そこでは、核開発を担った核サイトの多くがすでに閉鎖され、放射性廃棄物と核被害を大量に残しつつ、解体・再利用や、あるいは歴史遺産化されていることが明らかにされた。
その成果の上に、さらに「放射性物質の政治文化史」を構想するに至った。同時代史の最大の特徴は高度な科学技術の開発・利用にあり、それと共に被害のポテンシャルも極大化した。その象徴が放射性物質・核分裂性物質である。核分裂性物質はその破壊力ゆえに独占・隠匿され、放射性微粒子と放射線は見えないがゆえに、核被害は無視ないし瑣末化されてきた。そうした核時代史の基本的な特質を可視化しつつ、放射性物質と共に生きる私たちの歴史状況を理解する方法として、放射性物質それ自体に注目し、その開発・利用と健康への影響について、政治文化史的なアプローチの可能性を探る。
2022年度より高等学校の新学習指導要領が施行され、歴史系科目において新設された科目「歴史総合」が、2023年度からは選択科目として「日本史探究」「世界史探究」が始まる。また全教科において「主体的・対話的な深い学び」の実施が謳われ、事実上アクティブ・ラーニングの導入が義務づけられることになった。それを受けて歴史系科目について「思考力育成型」授業実践が各地の高校で行われ、教員研修会や高大連携歴史教育研究会等で報告が重ねられてきた。しかし、従来の大学入試において細かな知識を問う傾向が強い歴史系科目では、教科書も分厚く用語も肥大化し、知識偏重の注入型教育が重ねられてきた経緯がある。また、教育課程での歴史系科目の標準単位減の中でアクティブ・ラーニングの導入について、時間的余裕のなさや、歴史科目の知識不十分な中でディスカッションなど生徒の主体的活動を行わせることに懐疑的・否定的な意見も聞こえてきている。そして、思考力重視型授業における「評価」の在り方も議論が熟しているとは言い難い。
一方、大学入試においては高校旧課程の教育のまま2021年度より従来の「センター試験」にかわり大学入試センターによる「大学入学共通テスト」が実施される。地歴科・公民科については、2017年・2018年の大学入試センターによる試行テストが行われ、「思考力型出題例」が示された。しかし、新科目を想定した試行テストについて課題も多く示されていること、私立大学・国公立大学の個別入試について、現状ではどのような「改革」が行われるのかが明確に示されていない。その中で、昨年11月に日本学術会議から「歴史的思考力を育てる大学入試の在り方について」という提言が発表された。大学入試共通テストと各大学の個別入試において「歴史総合・世界史探究」「歴史総合・日本史探究」を入試科目とする提案、「歴史総合」の出題では歴史の学び方に関わること、探究科目では表・グラフや図像の読み解き、未知の資史料や課題を考えさせる、文脈に応じた判断の論拠や証明の方法の適切さを問う、教科・科目の枠を越える、複数の正解がある出題など、思考力育成型入試実現への提言が行われた。これを受けて、大学の現場がどのように反応するのか注目されるところである。
近年の西洋史学会大会では3回にわたり歴史教育関係のシンポジウムが実施されてきた。2010年5月の第60回では「世界史教育の現状と課題」、2015年5月の第65回では「世界史教育における大学と高等学校間の壁をどう乗り越えるか ―高校教科書、大学入試、教員養成課程、高校教員研修などに注目して―」、2017年5月の第67回では、「思考力育成型歴史教育への転換と大学入試改革をどう進めるか」というテーマで行われた。この3回のシンポジウムでの議論を踏まえ、本シンポジウムではいよいよ高校の新課程実施目前にして、世界史だけでなく、広く「歴史教育改革」の現状と課題をテーマとしたい。
まず、長年にわたり高大連携の大阪大学歴史教育研究会を率いてこられ、高大連携歴史教育研究会会長である桃木至朗氏に歴史教育改革のこれまでの経緯について基調の講演をいただき、高校において思考力型・探究型授業の実践が豊富な高校教員2氏、大学の歴史教育・教職課程の歴史系科目に取り組んでこられた大学教員の2氏に以下の点について報告をお願いした。「高校の歴史教育で根本からの改革が成されようとしている」ことを、高校現場の教員がどう受け止めているのであろうか。「歴史教育改革」の理念は高校現場に浸透しているのであろうか。この度の新課程の理念を踏まえた入試改革はどのように進捗しているのか。また、新課程を目して地歴科の教職課程においてどのように対応しているのか。高大の歴史教育・教員養成の現場における課題は何か。これらの課題に対して、高大の教員両者がどのように改革を進めていくべきか。これら報告の後に総合討論を行い、今後の展望について議論していく。
本企画は、西洋史を研究対象とする研究者がいかに仕事を効率化し、必要ならばワークライフバランスをとることができるか、またそのような学界の環境をどのようにして創出し、維持していけるかという問題について、参加者が意見交換を行うことを目的としています。最初に企画者が趣旨説明を行い、その後東京女子大学の柳原伸洋氏と京都大学の金澤周作氏にコメントしていただいた後、参加者で自由に議論を行います。
現在の研究者を取り巻く状況は研究に十分な時間を割くことさえ著しく困難にしています。これまで「歴史家ワークショップ」では国際発信していくための知識や経験を共有するワークショップを西洋史学会で開催してきましたが、このような取り組みを行う中で実感されたのが、新しい取り組みを行っていくためにも研究者一人ひとりに十分な余裕が必要だということです。
そこで今回は、「仕事の効率化とワークライフバランス」と題して、今ある仕事を効率化してワクワクする仕事に使う時間を捻出し、あるいは仕事以外の生活とのバランスをとるにはどうすればいいかについて、経験を共有し議論します。
このような問題は従来、個人個人で解決すべき問題と考えられる傾向にありました。しかし研究者の多忙化や、研究者の多様化とそれに伴うワークライフバランスの維持への要請は学界全体の課題になってきているのではないでしょうか。
またこの問題には、立場・世代によって考え方の違いも大きいと考えられます。西洋史学会という様々な研究者が集まる場で、オープンな議論をすることで、それぞれにとって新たな発見となる意見交換ができると考えています。
ワークショップでは、最初に話題提供として、企画者の効率化に向けた試行錯誤の経験を共有します。次に、柳原伸洋氏にワークライフバランスと余裕がない現状について、そして金澤周作氏に学界の状況について俯瞰して話していただきます。