Contents:


公開講演 要旨



本村 凌二 (早稲田大学特任教授・東京大学名誉教授)
「ローマ社会におけるエピクロス派とストア派」


 後に唯物論にかたむくマルクスは学位論文でエピクロスの自然哲学をとりあげている。そのエピクロス派は、繁栄を誇ったパクス・ローマーナの時代には、ストア派ほど人々の心をとらえたわけではない。
 そもそも、古代哲学の舞台には、ソクラテス、プラトン、アリストテレスが主役として登場する。早くも前4世紀半ばにギリシア人の知の営みは頂点に達した。ひとたび最高峰をきわめれば、後は転落し、取るに足りないものになる。
 そのような低落をたどる思想の代表格がエピクロス派とストア派の潮流である。しばしば快楽主義と禁欲主義と訳されることもあるが、いずれも誤解されやすい訳語である。
 ともあれ、ヘレニズム期からローマ帝政期を通じての数世紀間、古代地中海世界の人々の心に響くものがあった。エピクロス派もストア派も形而上学の観念の世界に遊ぶよりも、むしろ実践のなかでより善き生活を求めようとした。
 エピクロスは快適な生活をめざしたが、快楽をむさぼったわけではない。暴飲暴食や淫乱は苦痛の種であり、また、公人としての名誉も無用だった。ストア派は情欲や思惑に心を乱されず、ものに動じない心を求めた。公務に気配りはしても、周りにふりまわされない自律の心構えが肝要だった。
 空前のグローバル化の世界にあって、エピクロス派は個人主義に、ストア派は世界市民主義にたどり着く。心豊かに生きる道を求めながら、両極の目標が浮び上ってくる。
 しかし、その後の経過を見れば、きわだった違いが目立つ。エピクロス派はそれほど民衆の心をとらえなかったのに、ストア派の考え方は凡庸な民衆の間にも訴えるところがあった。この差異はどこからくるのであろうか。
 ここでは、精神史あるいは思想史という立場からではなく、社会史の中軸をなす心性史という観点から古代地中海世界の人々の感じ方・生き方を考えてみたい。それは今日の世界にあっても、いささかなりとも示唆するものがあるのではないだろうか。


立石 博高 (東京外国語大学学長)
「近世スペインとカタルーニャ―― 複合国家論の再検討」


 1992年に「複合王政のヨーロッパ」と題する論文を発表したJ.H.エリオットの意図は、近世ヨーロッパを中世国家から近代国民国家への過渡期とみなしてきたヨーロッパ史研究に反省を迫ることにあった。つまり、「多国籍的な政治経済諸機構の発展と、これまで〈否定されていた〉民族体や半ば埋もれていた地域・地方アイデンティティの復権は、上からと下からの両方向からの国民国家への圧力となっている」という現実認識のもとに、「主権国民国家システムに向かう不可逆な前進として理解されてきたヨーロッパの歴史の規範的解釈に疑問符をつける」ことだったのである。
 爾来、複合国家は、「独自の法、慣習を保った諸国を包摂する形で単一の君主が統治する」近世ヨーロッパの国家の統治構造をさす言葉として使われている。ところで、近世フランスの統治構造については、「社団」概念によってその解釈が大幅に修正されたが、これに大きく与った故二宮宏之氏は、つとにフランス王国の領域国家としての複雑さとこの時期の「祖国愛」の固有の特徴にも言及していた(1969年の論稿)。では、複合国家論は、このような王朝的領域的理解とどのような違いがあるのだろうか。
 現在ハプスブルク王朝支配下のスペイン王国は複合国家の典型であったとされ、王権が諸国の特権を侵害したときには、諸国で、なかでもカタルーニャ公国で反乱が生じた、そして「祖国愛」はカタルーニャに収斂してしまったという。本講演では、まずフェリーペ2世期を中心に、国王と特権身分層のカタルーニャ政治体が、どのような緊張と同盟の関係を結んだかを概観するとともに、国王の存在はカタルーニャ民衆にどのような期待と幻想をもたらしたかを検討したい。そのことを前提にして、カタルーニャ反乱にいたるなかで「国王への忠誠」や「祖国愛」がどのように変容したかを明らかにしたい。こうした作業を通して、複合国家論を動態的に捉えることの必要性を確認したい。