小シンポジウム
5月20日(日) 14:00~17:15
会場:広島大学東千田キャンパス未来創生センター
シンポジウム1:「見えざる人びと」の探し方 ─庶民史構築のために─ A402
シンポジウム2:中世ヨーロッパにおける書簡とコミュニケーション M402
シンポジウム3:西洋中近世における法専門家の役割と国制史的意義 M303
シンポジウム4:近代イギリスにおける科学の制度化と公共圏 M304
シンポジウム5:ナポレオン帝国と公共性 M401
シンポジウム6:社会主義圏をめぐる歴史研究の行方 ─ソ連・東欧史・ドイツ史の観点から─ A302
付記:M=未来創生センター;A=東千田総合校舎A
「見えざる人びと」の探し方 ─庶民史構築のために
奥山広規 「見えざる人びと」を可視化するー庶民のローマ史の構築に向けてー
堀賀貴 古代ローマの都市構造を読む:脱計画性を計画する
江添誠 出土遺物に何を問いかけ、何を語らせるか?
コメント 志内一興・ 渡部展也・青木真兵
(企画:坂口 明)
(場所)
現在の歴史学において、テーマの多様化は顕著な現象になっている。
政治史、経済史、法制史といった古くからの分野と並んで、社会史、心性史といった分野が歴史学の中心的なテーマの一角を占めるようになって久しい。また、かつては歴史学の視野にはほとんど入っていなかった人々、支配層や知識層といったエリートに属することなく日々の労働に従い、注目されることなく生活を営み、死んでいった人々に関心が向けられるようになったことも、重要な動向である。これらに人々―さしあたり庶民とよんでおこう―に目を向けることなしには、それぞれの時代の実態を把握することはできないという共通認識もひろまっている。
しかしながら、古代史においては、こういった動向に共感を抱きながらも、大きな具体的成果が生まれているとはいいがたい。それは何よりも史料的な制約によるといえるであろう。いうまでもなく、これまで中心的な史料とされてきた文献のほとんどは、エリートの手になるものであり、庶民の生の声を聴くことはほとんどないからである。碑文についても、庶民が残したもの―その大部分は墓碑ーが伝える情報はあまりにも断片的であり、データ的な処理は可能であるものの、ここからも彼らの肉声を聞くことは難しい。
この小シンポジウムは、こういった「見えざる人びと」を可視化する方法を探ることを目的としたものである。
その一つとして、グラフィティの研究がある。壁などに書かれた無名の人々の声を、何とかして聴きとろうとする試みである。ここでは、オスティアを主な対象とし、その他の地域についての知見も交えて議論を発展させていきたい。
また、このような観点から過去を再構築しようとすれば、従来の歴史研究の方法に閉じこもることなく、考古学や建築史といった分野と積極的に協働していく必要がある。これらの分野でも、遺跡や遺物をそのコンテクストにおいて観察するという試みが行われている。その中から、「見えざる人びと」の生きた空間、彼らの間の関係性を可視化することができるのではないだろうか。ここではポンペイとオスティアの都市空間の再解釈、遺物の出土コンテクストからの分析に関する報告をもとにして、新たな知見の可能性を探っていきたい。
中世ヨーロッパにおける書簡とコミュニケーション
岡崎敦 西欧中世における文書と「書簡」─近年の研究動向とフランス王文書の例─
梁川洋子 ペンブルック伯マーシャル家の書簡─13世紀イングランド諸侯の書簡とその役割─
新井由紀夫 15世紀イングランドのジェントリ家系文書からみる地域政治社会と書簡
コメント 皆川卓・高橋一樹
(企画:新井由紀夫)
(場所)
書簡というと、個人間の私的なやりとりを思い浮かべるかもしれないが、実は射程は広い。コミュニケーションの視点から考えると、文書資料の多くはそのツールとして生み出され、使用され、そして写されたり編纂されたりあるいはそのまま保存されたりして利用され、今の我々の手元に残されている。発信者と受信者のあいだで、一定の効力を持った文字によるコミュニケーション・ツールとしてみれば、我々が歴史学で扱ってきた文書資料の多くが書簡に含まれる。逆に言えば、従来、書簡とされてきた資料のなかには、個人間のやりとりを超えて社会の中で一定の機能を果たしていたものも多く含まれていることになる。このように書簡資料は、ある力を持ち作用するベクトルとして考えるほうが歴史学の資料として有用ではないだろうか。また何らかの力や意味を持つということは、発信者と受信者との間で、その意味や効力について共通の理解があることが前提になる。書簡の内容だけでなく、それらが機能する背景となる文化についても、考える必要がある資料といえる。
このような前提に立って、今回のシンポジウムでは、政治的・社会的行動にかかわるある固有の意思の伝達媒体としての書簡に着目する。中世西欧社会において書簡が担った政治的機能を具体的に明らかにすることで、その機能を成り立たせていた背景に複層的に迫ってみたい。
西洋中近世における法専門家の役割と国制史的意義
小川浩三 「職業裁判官」としてのデュランティ
田口正樹 中世後期ドイツの帝国集会と法専門家
小林繁子 魔女裁判における学識法曹の役割
コメント 藤崎衛・渋谷聡
(企画:田口正樹)
(場所)
現代世界において、各種の専門家は顕著な役割を果たしており、大きな影響力を持っている。我々は専門家なしですませることはできないが、他方で「専門家支配」という批判が示すように、専門家による決定の範囲や専門家と非専門家との関係は、一つの問題である。こうした現状に鑑みれば、専門家の活動や役割を歴史的に探求することは意味のある作業であると思われる。そうした作業として、日本の学界では、例えば近代ドイツを「資格社会」としてとらえドイツ市民社会の独特の性格に迫った諸研究が想起されるが、18世紀以前の時期に関しても、近年のドイツ学界ではゲッティンゲン大学で「12世紀から18世紀の専門家文化」をテーマに文化史的アプローチによる研究が展開されている。
それに対して、本シンポジウムは専門家と国制史との関係をテーマとして設定した。従来の国制史研究は、個別部分の性質の多様性よりは一般化された要素を素材とする権力構造に注目する傾向が強く(貴族支配・「全き家」、封建社会の「細胞」、近世国家と「社団」...)、専門家の存在を大きく考慮してきたわけでは必ずしもない。専門家に注目することにより、国制史の新しい側面を開拓することも期待できよう。その場合、取り上げる専門家としてはいくつかの可能性が考えられるが、本シンポジウムでは西洋中世・近世の法専門家を対象として、彼らの役割と国制史的意義を論じることとした。
近代イギリスにおける科学の制度化と公共圏
坂下史 農業委員会(Board of Agriculture, 1793-1822)再考―半官半民組織の設立とその含意─
石橋悠人 イギリス海軍における科学の制度化―グリニッジ天文台を中心に―
伊東剛史 科学の大衆化が専門分科と専門職業化に及ぼした影響―19世紀のロンドン動物学協会を事例に─
菊池好行 イギリス化学者共同体の発展の国内的・国際的文脈
高林陽展 医学研究委員会の活動からみる総力戦体制と科学
奥田伸子 科学の制度化とジェンダ─D.ホジキンを中心に─
(企画:大野誠)
(場所)
19世紀西欧での科学の制度化についてはフランスやドイツをモデルとして、国家主導型の科学運営と専門職業化の進行が指摘されてきたが、これらはイギリスにはあてはまらない。イギリスでも科学活動が一種の制度とみなせるくらい社会に浸透したが、それは民間団体を中心とした多元的な科学運営によっており、科学研究の職業化はごく少数に留まったからである。本シンポジウムでは、イギリスに特有な科学運営の動的構造の解明を試みる。
検討すべき第一の点は、科学活動に政府がどのように関与したかである。イギリスの科学組織のなかには17世紀に創設されたグリニッジ天文台のような政府直轄の機関や、農業委員会のような「半民半官」の団体もあった。第1回万国博覧会後の1853年には商務省内に科学工芸局が新設されたが、この機関は科学の公共圏を構成する一要素にとどまった。政府が科学活動に対して大きな影響力を発揮するようになるのは、総力戦体制が構築された第一次世界大戦からだろうか。その様子を医学研究委員会でみる。
ナポレオン帝国と公共性
岡本 明 ナポレオン帝国と公共性 総論と戦略論
安藤隆穂 B・コンスタンとスタール夫人の近代:主権と自由
藤原翔太 ナポレオン時代の県会と公共性
岡本 明 フランス=イタリア間に公共圏は存在したか
大塚雄太 近代プロイセンにおける公共圏の思想─啓蒙・革命・祖国愛─
梶さやか ワルシャワ公国に見る公共圏─その縮小と拡大─
コメント 白木太一・正木慶介
(企画:岡本明)
(場所)
この企画は、『フランス革命と公共性』(安藤隆穂編、名古屋大学出版会、2007年刊)での共通認識すなわち、フランス革命はジャコバン独裁で終わらず(テルミドール反動とても同じ)、革命の成果が一定の定着性をもつナポレオン時代まで見届けねば、近代国家と自由の問題は解明できないとの立脚点を踏まえて、続くナポレオン期には、以前の革命諸党派を巻き込んだ立憲制度、宗教・教会(礼拝・信仰の自由)、地方行政・自治などの公共圏に関わる領域で、新たにどのような葛藤と成果が現われたかを論じるものである。
ナポレオン時代は、空間領域としてはフランスが隣接諸民族・国家のイタリア、プロイセン、ポーランドなどと接触し、新しい関係を築く時代であるが、それへの視線でもわたくしたちは1992年のマーストリヒト条約の仏独和解の基本精神を引きとっている。ナポレオンはこれらの隣接民族に抑圧者としてのみ君臨したのではなく、少なくとも改革触発的な側面をもったこと、加えて抗仏ナショナリズムも、20世紀現代史特有のナチズムのそれと同一ではないこと(近代と現代の峻別)についても認識を共有している。この認識を踏まえて、フランス革命での公共性論の切り口がどのような相貌を見せるかを問う。
社会主義圏をめぐる歴史研究の行方 ─ソ連・東欧史・ドイツ史の観点から─
池田嘉郎 テクニカラーのソ連:生活様式としてのハイ・スターリニズム
辻河典子 社会主義東欧をめぐる歴史研究の展望:ハンガリーの事例から
伊豆田俊輔 社会主義圏をめぐる歴史研究の行方―東ドイツ史の観点から─
コメント 富田武・星乃治彦
(企画:河合信晴)
(場所)
社会主義研究は冷戦終焉以降、アクチュアリティーを失ったものと見なされて、注目を集める研究分野とは言い難かった。しかし、去年はロシア革命、今年はドイツ革命からそれぞれ100周年、来年には東欧社会主義体制の崩壊から30周年、さらには2021年にはソ連の消滅から30周年と、次々と節目の年を迎え、社会主義体制の歴史を再考する機会が訪れている。現に、去年はロシア革命を再考する企画が多数組まれた。では、社会主義研究は今後も、歴史研究において魅力があるものとみなされて、継続的に発展していく可能性はあるだろうか。それとも、この現象は一過性のものとして収束するのだろうか。今、まさに研究の方向性が問われる時期にきている。
元々、日本における戦後の東欧史は、一国史ではなく戦後成立した社会主義体制下の東欧の歴史を一体として把握し、比較検討しようとしてきた研究蓄積がある。ソ連研究では、政権中央の動向だけでなく、各共和国の実態に目を向けた研究も多くなっている。また、東ドイツを含む戦後の社会主義体制に関しては、近年、文書館史料を用いた歴史学的研究の成果が本格的に現れ始めた。いわば、日本の研究者も現在では文書館の一次史料公開に伴って、世界の研究動向をフォローするだけでなく、積極的に実証研究を積み重ねている。
これらの研究動向を踏まえたとき、従来の社会主義研究の枠組みを今後も継続しうるのか、それとも新たな枠組みが提起されうるのか、検討が必要であろう。さらには、研究者の世代によって研究関心や焦点が違うにもかかわらず、そのことについて十分な対話がなされてきたとは言えないのではないだろうか。
本シンポジウムは、それぞれの報告者がこれまでおこなってきた実証研究と最新の国内外の研究動向を踏まえつつ、今後の社会主義研究の方向性を議論してみたい。その際、従来の研究から継続的に問われている社会主義とそれぞれの国のナショナリズムとの関係、最近の研究が注目する社会主義社会における私的空間と公的空間の編成状況の検討といった視角に焦点をあてる。
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申込用紙送付先:seiyoshigakkai68hiroshima@gmail.com